私は冬の木

 私は田舎の貧しい農家に生まれた。幼い頃、足に異常が見つかり、あちこちの病院へ行ったが治らず、ついに立てなって、小学校も卒業できないまま家に閉じこもるようになった。訪れる友はなく、孤独な日々を過ごし、神を恨み、世間を恨んだ。自殺も考えたが、「自殺するために生れてきたのか」と自分が惨め過ぎて、できなかった。

 母は時おりどうしようもない感情をそのまま冷酷な言葉に乗せて、私にぶつけた。そんな日は一日どん底に落ち込んだ。春の若葉は私の絶望を際立たせ、かいま見える夏空の青さはいっそう悲しみに突き落とした。

 自分にも何かできることはないかと、鉛筆で絵を描いてみた。それが知人の手に渡り、上手だと評価された。父に水墨画を描きたいので、少しお金が欲しいと頼んだが、弟たちの学費を出すのが精一杯だと断られた。私は家族の足手まといに過ぎなかった。

 ある冬の日、家で宴会があり、客に障害者の私を見せたくない両親は、毛布一枚で家の裏に追い出した。家から聞こえてくるにぎやかな声を聞きながら、無防備に寒風にさらされて震えている冬枯れのポプラを見つめた。「私は冬の木だ」と思った。

 二十歳を過ぎた頃、そんな怒りと悲しみに満ちた人生に転機が来た。ある日、一人の女性クリスチャンの訪問を受けた。彼女は信仰を強要せず、ただ私の話し相手になったり、手と足の爪を切ってくれたりした。私は彼女にキリストの愛を感じ、救い主を受け入れた。それ以後も、歩けない事実とその苦痛は少しも変わらなかったが、苦しみの意味だけは変わった。今までの苦しみには、苦しみ以外の意味はなかった。しかし、今は苦しみが私の心をキリストの愛と希望に向けるようになった。「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない永遠の思い栄光をもたらす」(?コリ4・17)という確信が私の心に生れた。

 今も私は冬の木だ。でも、春を夢見る冬の木だ。今まで味わってきた悲しみは、冬の間に固まって私の内で年輪となる。私がキリストから受けた鍛錬のしるしだ。この年輪が私を強くする。私は主に祈る。「人から受ける助けを堂々と受ける勇気をください。そして、私も人を助けることができるようにしてください」と。
(『人生の山を越える』から「夢見る冬の木」翻訳要約)。