栄光をほめたたえる(エペソ1・6)

「それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。」(エペソ1・6)

エペソ書の1章の前半には、「栄光をほめたたえる」という言葉が4回出てきます。神が天にあるすべての霊的祝福をもって祝福してくださったのは、神の栄光がほめたたえられるためであるというのです。私たちが神に選ばれていたのも、神の子となるべく定められているのも、すべて神の栄光を現すためなのです。突き詰めれば、人生の目的とは、すべての霊的祝福を用いて神の栄光を現すことであるといえます。

  人間は「神のかたち」に造られています。それは、人間がこの地上に神の象徴として立てられていることを意味しています。例えばウォークマンがソニーという会社の象徴であり、「ソニーのかたち」であるのと似ています。会社は最高の技術を用いて、最高のものを造り出そうとします。そうして造られた製品は、いわばその会社そのものであり、会社の栄光を現すことを期待されています。その製品が高性能であればあるほど、会社は信用を高め、繁栄を築き、栄光を極めていくことになります。ついには、人々はソニーという会社の名前だけでその製品を信用するようになるのです。

 人が「神のかたちに」に造られているのも、「神の作品」として神の偉大さを現し、人々が神の栄光をほめたたえるようになるためだといえます。私たちは人生が神の栄光を現す場であると認識しているでしょうか。神の栄光を中心に人生の計画を立てているでしょうか。また、今日という日も神の栄光を現す場です。一日を始める時、祈りの中で、どのようにして神の栄光を現わすべきか、思い巡らすべきです。

 パウロはこの手紙を獄中から書いていますが、彼は獄中にあっても神の栄光を現すことを第一に考えていたことがわかります。
 
 ヘンデルは20数日間、食事も忘れて作曲に取り組んだことがあります。「何を考えているのですか」と聞かれて、「神の栄光」と答えています。こうして作曲されたのが、あの「メサイヤ」です。私たちも神の栄光を現すことを日々考えましょう。