「人はなぜ尊いのか」
「なぜ自殺がいけないのか、明確な答えを知らない。命は地球より重いという。なぜか。当たり前に思っていることの理由を、不思議と知らない。」何年も前に朝日新聞に載った二〇歳の女子学生の投書です。長崎の12歳の少年による幼子殺し事件で、少年の通う中学校校長は全校生徒に「人の命は地球よりも重い」と語りましたが、この女子学生の「なぜ」にどう答えるのでしょう。一人の人間がどうやって、他の人間の命を地球より重いものにすることができるのでしょうか。
「命は地球よりも重い」というのは簡単です。そう言っても、誰も反対しません。しかし、その裏付けとなる根拠がなく、それを実感させるものもないなら、何の意味もない空虚なお題目です。神戸の14歳の少年による児童殺人事件以来、「人の命はなぜ尊いのか」という問いかけは随分なされてきましたが、明確な答えは出なかったようです。誰もが納得する明確な理由がないとするなら、人間の存在の尊さはただの願望か思い込み、つまり多くの人々が共有している幻想ということになります。
私は問いたいのです。そもそも人間の命とは、それ自体で尊いのか、と。尊いと言い切るなら、誰がどうやってその尊さを保証するのでしょうか。あの校長先生は生徒一人一人の命の尊厳を自分で保障するつもりなのでしょうか。思想や言葉だけで、人間の命の尊さを実質的なものにできるのでしょうか。
今、あなた自身、自分の命が地球より重いと実感しておられますか。だとすれば、どのようにして・・・・。
これから数回にわたり、「なぜ人の命は尊いのか」をテーマに書いていきます。
私は、人間が考え出した理屈や言葉(哲学や思想)では、人間の尊さを実質的なものにすることはできないと信じています。「人の命は地球より重い」と何度唱えても、本当に地球より重くなるわけではありません。先ごろ、「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」というスマップの歌がはやりました。この歌の思想を取り上げて、「人間はナンバーワンになることで尊くなるのではない。オンリーワンだから尊いのだ。これが聖書の中心メッセージだ」と唱えた人たちがおられました。なるほど「ナンバーワンだから尊いのではない」というのはわかります。でも、「オンリーワンだから尊い」というのは本当でしょうか。オンリーワンであることが、人間の尊厳の根拠になるのでしょうか。ましてや、それが聖書の中心メッセージなのでしょうか。
で、まず、「人間はオンリーワンだから尊い」ということにはならない、ましてや聖書のメッセージではない、ということをお話したいと思います。