「神はキリストにおいて、天にあるあらゆる霊的祝福をもって祝福してくださいました。」(エペソ1・3)Ep04
「天にあるあらゆる霊的祝福」で祝福されているとは、想像を絶する祝福です。であれば私たちの心は満たされ、感謝と喜びにあふれていて当然です。なのに心に不平や不満があるとしたら、何が問題なのでしょうか。
最大の理由は、キリストを中心とした生活が確立していないからです。この霊的祝福は「キリストにおいて」与えられたのですから、私たちのうちに生きておられる主にどれだけ自分をお委ねしているかがカギです。
キリストを見上げず、人を見て、人と比較することは祝福を遠ざけます。人を妬み、人の欠点を数え上げても、自分の方に祝福は回ってはきません。
受けた祝福を自分の所にとどめておくことも問題です。世の中の金持ちが気前よく投資するようになれば、世の中にお金が回り始めるように、神から受けた祝福を人に与えるようになれば、祝福はますます増え広がります。つまり、「持っている者はさらに与えられて豊かになる」という原理(マタイ13・12a)が働きます。
感謝の思いがないことも問題です。感謝し喜ぶ心があれば、ますます豊かになりますが、なければ「持たない者は待っているものまで取り上げられてしまう」という原理が働きます(マタイ13・12b)。今受けている当然のこと(衣食住の必要、家族、健康、仕事など)に感謝することも大切です。当然のことに感謝できなければ、何が与えられても心に満足はきません。というのも、人間は、どんな良き物を受けても、やがてそれに慣れて「当然のこと」と思うようになってしまうからです。当然のことが感謝できれば、不平不満は自ずから消えていきます。神の愛、救い、平安、和解・・・・こうしたあらゆる霊的祝福は、神の国では当然のことですから。