東京ドームで復活祭を

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル12・2)
 
 先日、巨人・横浜戦のチケットをいただいて、東京ドームでゲームを観戦してきました。何と、座席はテレビにも映るのではないかと思われるほどのホームネット裏で、野球の醍醐味を堪能できました。スタンドは満席で、外野席の熱狂ファンの応援はすさまじく、鳴り物がドームいっぱいに響き、ワンプレーごとに何事かと思わせるようなどよめきが起こります。ここだけ別世界のようでした。
 ところで球場の主役はだれかわかりますか。主役とは観客の目を最も長時間集めるものです。それはピッチャーではありません。ホームランバッターでもありません。それはボールです。ボールから目を離せば、野球はゲームになりません。打者は三振、野手はエラー、観客は何がどうなっているのかわからなくなります。選手は常にボールの位置をしっかり見ます。観客も投手、捕手、野手・・・といつもボールの行方を追っています。ですから主役はボールだと言えます。
 試合中、天井近く舞い上がったファールボールがネット裏に垂直に落下してきました。ものすごいスピードで、点のように小さく見えていた白球が一瞬にしてバレーボールのように大きく見えて(ちょっと大げさですが)二つ隣の座席を直撃しました。かなりの衝撃でした。場内アナウンスが「ファールボールの行方には十分ご注意ください」と繰り返します。ボールから目を離せばファールボールに当たってケガをします。球場ではあらゆる意味でボールから目を離してはいけないのです。
 私たちの生き方も同じです。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さない」ことが大切です。この方から目を離さなければ安全、勝利です。離せば人生はアウト、敗北です。
 
 ところで、私たちの願いはいつの日か東京ドームで復活祭を祝うことです。すべての目が十字架のキリスト、復活のキリストを見つめて歓声を上げることです。日本ではクリスマスは祝われても、復活祭はほとんど知られていません。教会の行事でさえも力の入れ方において、復活祭はクリスマスに比べるべくもありません。しかし、パウロが語っているように、最も大切なこととして伝えられたのは十字架と復活であって、生誕ではありません。福音書も、生誕よりも十字架と復活に圧倒的なスペースを割いています。ですから、なんとしとしても東京ドームで復活祭を祝い、日本にも復活祭を定着させる一歩としたいのです。
 そのために、東京ドームで祈ってきました。