大好きな梅雨の季節

 「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」(ピリピ4・11−12)
蒸し暑い季節がやってきました。田舎に住んでいた中学、高校の頃は、このうっとうしい梅雨が大好きでした。しずくにぬれた山里の緑が生き生きとしています。鮮やかな紫陽花、風に揺られる雨脚、土の地面をぴちぴちと叩く雨音、川面にはねるハヤ・・・何をとっても趣がありました。梅雨は私を詩人気分にしてくれました。
しかし、暑がりの私は、東京に来てから梅雨が一番嫌いな季節になりました(東京が故郷の人、ごめんなさい)。ムシムシの満員電車、傘をぶつからせながら歩く人ごみ、ジメジメの部屋・・・都会には梅雨の風情が見つかりません。ひたすらがまんして、ただ秋を待つのみです。
でも、今年はパウロのごとく、「どんな境遇にあっても満ち足りる」ようになろうと意を決しています。「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(13)から。で、こんな詩を見つけました。

梅雨が来たら梅雨のことだけを思おう
梅雨を遠ざけようとしたりしないで
むしろすすんで
梅雨のたましいにふれ
梅雨のいのちにふれよう」
(坂村真民作。実は、原詩は「梅雨」ではなく「冬」です)。

河野進さんのこんな詩もあります。

天の父なる神様
どんな梅雨を吸っても
吐く息は乾燥でありますように
すべては恵みの呼吸ですから
(失礼、原詩は「梅雨」ではなく「不幸」、「乾燥」は「感謝」です)。

ということで、今日の午後は梅雨の季節を満喫するために、東村山の北山公園に菖蒲と紫陽花を見に行きましょう。今が盛りです。