和解

 紀元70年、イスラエルの都エルサレムはローマ軍に完膚なきまでに破壊されました。両軍の激戦の果てに崩壊したのではありません。実は、エルサレム城内で熱心党各派が抗争を繰り返しているうちに自滅したのです。ローマ軍はただ包囲して待っているだけでよかったのです。タルムードは「第二神殿はなぜ崩壊してしまったのか。それは盲目的な憎しみのためである」と記しています。そして21世紀の今日も再建されてはいません。

話は飛んで20世紀初頭、シャクルトン探検隊28名が南極で遭難しました。「全員が団結していてさえ、生き延びる可能性はほんのわずかだ。もしばらばらになり、勝手な行動を取ったりしたら、そのわずかな可能性も消える。」そんな極限状況の中を―――隊員の中には問題児もいましたが、シャクルトン以下全員が心を一つにし、一年半に及ぶ想像を絶する苦難を耐え抜いて、全員生還しました。

  21世紀の切なる願い――それは「和解よ、なれ。敵意よ、去れ。一つになれ」です。まさに人類の存亡をかけた願いです。人類もシャクルトン隊と同じ極限状況に追いつめられる可能性があります。争ったらおしまい。誰かが身勝手をしたら破滅。人類が生き延びるためには、民族と民族、国と国の和解が最低限の条件、というように。

 和解しなければ、一世紀の「エルサレム」状態になってしまいます。地球も今や火の点いた建物、沈みかけた船です。地球はいつまでも人間の身勝手な欲望や争いに持ちこたえてはくれません。相手を焼き尽くそうと戦えば、地球ごと焼け尽きてしまいます。それは日本の社会も、あるいは個々人の人生も同じでしょう。

  どちらが悪いか、誰が得かといった議論をまったく無意味にさせてしまうほどの圧倒的な愛。今の不和や怠慢がどんな結果をもたらすかを見抜く知恵。そんな大きな愛と知恵を必要な時です。  

(2005-06-19)