光と闇

 昔から、真夜中に手紙を書いてはならない、重要な決断をしてはならないと言われます。人の心は夜闇に影響されるからです。一晩かかって書き上げた手紙を、朝、光の中で読み返し、感情的な部分を書き直すというのはよくあることです。
暗闇の中で、人はろくなことを考えません。ユダがキリストへの裏切りを決行したのも夜でした。「ユダはパン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった」(ヨハ13・30)。

 夜、不安や焦りの中で思い煩いあれこれ考えることも、まったく時間の無駄です。「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します」(マタイ6・34)とキリストが言われたとおりです。不安な夜は何も考えずに寝るに限ります。不安で眠れなくても、朝の光照らし出されるまでは何も決めないことです。

 闇は夜だけではありません。怒りや憎しみや疚しさも闇を心につくります。「兄弟を憎んでいる者は、今もなお闇の中にいるのです」(Iヨハ2・9)。心が闇なら祈ることもできません。祈れないまま決めることは、たいてい悲観的、否定的なことです
 朝、眠いとき、光を浴びれば目も体も覚めます。心もキリストの光にさらしてください。闇の不安や疚しさから解き放たれます。キリストは「闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に招いて」くださる方です(Iペテロ2・9)。「私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(Iヨハ1・7)

 思い悩み始めたら、心が沈み始めたら、人のことを悪く思い始めたら、キリストの光に照らし出されて闇を追い払い、「主にあって喜ぶ」という習慣を身に着けましょう。何か問題が起こると、すぐに闇の中にはまる癖だけは断ち切りましょう。クリスチャンは「光の子」なのですから。