見えるほどに危険

 見通しのいい交差点は普通に考えれば事故が起こりにくいはずですが、実際には事故多発地帯となることがよくあります。よく見えていることが、かえって危険度を増すのです。

 たとえば、岐阜県で新しく開通した環状線と国道の合流点は見通しがいいのですが、2年前、同県内のダントツ事故多発地点になってしまいました。1年間で183件、2日に1件の事故率で、2位を倍以上引き離したそうです。事故の種類は唯一つ、追突です。「国道の流れがよく見えるため、合流が出きると判断して前進し、停止していた前の車に追突してしまう」のです。そこで、岐阜県警がとった事故防止策は、わざわざフェンスを張り巡らして見通しを悪くするというものでした。運転手の自分勝手な判断を制御し、合流直前でしか安全確認ができないようにしたのです。その結果、翌年は事故件数34と激減しました。

 大切なことは、先に合流地点があると知っていること、そしてそこに来たとき判断をすればいいのであって、それまでどういう車の流れになっているか気にしないことです。でも、どうしても気になるので、むしろ見えなくしたほうがいいのです。
 私たちは自分の人生のゴールがどこにあるかを知っています。ですから、その方向に向かって日々走ります。私たちには明日があり、その明日は必ず来ます。明日はどんな日かわかりませんが、わかろうとして思い煩う必要はありません。明日はどうなるかと一晩苦しんで考えても、考えたのとは違う明日が来るからです。むしろ、夜のとばりの中では、何も考えず神に委ね、寝て朝明けを待ったほうがいいのです。自分勝手な判断は「事故」を引き起こす危険を高めるだけです。

 「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である」(箴言16・9)。苦しみのとき、明日を思い煩わず、主なる神に自分の道を委ねて平安に眠れる私たちクリスチャンは幸いです。