無資格の医者

  先週、大学医学部で学んだこともない33歳の男が医師証明書を偽造し、8年間、都内20病院で医療行為をしていたことが発覚して、逮捕される事件がありました。でも、患者の間では評判のいい医師だったそうです。非番の日でも患者宅に電話して安否を問うなど、親切で、人当たりが良く、細やかさがあったのだろうと思います。もちろん偽医者というのはとんでもないことですが、事件発覚後でさえも、患者たちがこのニセ医師を悪く言わないのは面白い現象でした。自分は偽者とわかっているので、本物の医師にはない良さを発揮するために一生懸命だったのでしょう。あるいは医師資格がない分、謙遜になっていたのかもしれません。

 ところで、資格がないという意味では私たちクリスチャンも同じです。神の前に正しいと認められる資格はありません。ただ、キリストの十字架の贖いを信じることによって、罪を赦され、永遠の命を得ているだけのことです。それで傲慢になっていたのでは、ニセ医師にも劣るというべきかもしれません。

  モーセは主によって、出エジプトの民族的指導者に立てられた人ですが、自分にはその資格がないと考えて、ひたすら主に仕え民に仕えました。それゆえ「モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった」(民数記12・3)と評されたのではないかと思います。

  パウロも「罪人のかしら」(Iテモテ1・15)を自認していましたので、へりくだることに徹した人でした。彼は「何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません」とも語っています(IIコリント3・5)。

  私たちも何の資格もなしに「神の子ども」とされていることを喜び、謙遜に、そして一生懸命に主に仕え、また互いに仕え合いましょう。