駅伝

昨年暮れ、故郷の中学が「全国中学駅伝大会」で3位になりました。山村の学校の快挙に、一人で喜んでいるのが我慢できなくなって、お知らせする次第です。

 遠い昔、中学2年の私は、陸上部でもないのに市の駅伝大会の学校代表に選ばれ、アンカー手前の区を走りました。わが校は2連覇中で、その年も優勝候補でした。そして、予想通り、私は後続が見えないのほどの独走でタスキを受け取ったのです。しかし、初めての駅伝、沿道の声援もなく、一人で田舎道を走ることになり、どんなペースで走ったらいいのかまったくわかりませんでした。ほどなく、自動車の運転手から「後ろから来てるぞ」と教えられ、振り向いたら二人の選手が10mにまで迫っていました。抜かれるのに数秒もかかりませんでした。私は、必死でペースを上げ二人に食らいついていき、何とか10mほどの差でタスキを渡したのですが、結果は3位に終わり、府大会には出場できませんでした。

 先輩たちに申し訳ないやら、悔しいやら・・・そして最後は「なんで私を選んだんだ」と腹立たしい気持ちになりました。抜かれる時の惨めな感覚はずっと残りました。3年生になって、もう一度選ばれましたが固辞しました。前年、抜かれたことには何も言わなかった顧問の教師も、このときは私をなじりました。

 今も駅伝を見るのは好きですが、抜かれる選手を見るたびに、抜かれた瞬間の感覚がよみがえります。しかし、このたびは「日本全国で3位」。それを喜ぶうちに、あの時のことが爽やかな思い出に変わったような気がします。

考えてみれば38年前のことです。38年といえば思い浮かぶのが「38年間ベテスダの池に伏せっていた男」(ヨハネ4)ですね。キリストから「よくなりたいか」と声かけられて「はい」とは答えられませんでしたが、彼は主の憐れみを受けて立ち上がりました。

長らく心にかかっていたことが、主の憐れみを受けて解決する喜びの年となりますように。