冷静(霊性)と感情

 人間は感情の生き物です。春の空が晴れたり曇ったり雨になったりするように、喜びが憂鬱に、平安が怒りに、楽しみが悲しみに変化します。春の嵐が若葉や花を散らすように、心が激しく混乱することもあります。家庭や学校での小さな出来事や、職場での何気ない一言や、体の不調や、周囲の状況の変化に応じて、感情も揺り動かされます。感情をコントロールして、何事にも動じない人間にはなかなかなれません。そのように見せかけることはできますが、今度は喜ぶべきときに素直に喜びの感情表現できなくなってしまうかもしれません。う〜ん、自分の感情も他人の感情も厄介なものです。

 しかし、感情は決して悪いものではありません。信仰生活と人間関係を豊かにしてくれますし、感情がなければ、人間は何事も決断できません。表面的には知性的、理性的に判断しているようでも、人生の大事を決めるのは、説明のできない感情です。学校、職業、結婚、信仰から住居・車・服・料理の選択にいたるまで、最終決定は感情が行っています。人間すべてを知り尽くすことはできず、「もうこの辺でよかろう」とどこかで理性の活動を切り上げ、感情に右か左か決めてもらわなければならないのです。理性に任せても理屈をこね続けるだけでいつまでたっても何も決められません。結婚などはまさにそうです。

 しかし、そういう大事な働きをする感情がけっこう揺れ動くものであるから、人間は苦しむのです。

 で、結論。クリスチャンの感情は、心に住まわれる聖霊の思いと一致させることです。あなたの感情が揺れ動いていても、内なる聖霊の思いは動きません。その聖霊の思いが私たちの思いになること、それが冷静(霊性)な生活です。