高血圧

 先週、友人の牧師夫婦とひと時を過ごした後、夫人が開業しているクリニックで、血液、尿検査を受けてきました。

彼女の医療の取り組みは聖書の理念に基づいたもので、理解されるまでは批判もされたそうですが、最近は高く評価されるようになりました。日本のテレビや雑誌にもたびたび登場し、ついにはお隣の韓国のテレビ局が取材に来るほどに、注目を浴びています。うつ病、不眠症、統合失調症などの心の不調を病気だとは認めず、薬を投与することを控え、彼ら独自の方法で、多くの患者を癒してきました。

 さて、今回、私が気になっていたのは高血圧のことです。一昨年、血圧計を買い求め、ときどき計測していましたが、高い数値が出るようになってからは毎日計り、いい数値が出るまで一日何度も計るようになりました。血圧計にはまってしまったのです。最近は、教会にも持ち運んで、手を休めては、表示に出る数字とにらめっこしていました。ちょっと気分が悪いとき、首や肩が凝って痛いとき、便意をもよおしたときなど、どういう血圧になっているのか、「研究」するためと称してせっせとやっていました。計るたびにまちまちの数字が出てきます。いい数値を記録した日は気分が良く、高いとなんとなく気が塞ぎそうになります。高い日が多いのですが、講壇で語っているとおり「喜ぼう」と自分で自分を励ます日々でした。

 そんなことを彼女に話すと、笑いもあきれることもせず(妻はそうですが)、「血圧は一日で大きく変化します。そのときそのときの状態で40ぐらいは上下します。起床時と就寝時の2度で、ほかは何度計っても意味がありません。一回の数値で一喜一憂する必要もありません」この一言で、血圧計から解放されました。

 権威ある者の言葉は、人を落ち着かせます。