姨捨

 若い頃読んだ深沢七郎の『楢山節考』(ナラヤマブシコウ)は記憶に残る作品です。昔、ある貧しい村では、家族の食い扶ち(食べる人数)を減らすために、食うだけで働けなくなった年寄りを山に捨てるという姨捨(オバステ)の風習がありました。作品では、70歳を超えた老女がすすんで山に捨てられることを望み、息子に背負われて楢山に行くという筋書きになっています。老女が自らの丈夫な歯を恥じとし、石で叩いて折る場面には、貧しさの悲しみと酷さを感じさせられました。

 長野県千曲市には、姨捨という土地があり、年老いた親を山に捨てる伝説を残しています。深沢七郎もその伝説を基にしてこの小説を書いたそうです。しかし、実際の伝説では、姨捨の意味が違っていました。日経新聞(0605020夕刊)によると・・・姨捨という土地には「姨岩と呼ばれる大きな岩山がある。昔、醜い心を持った大山姫が都からやってきて、姨岩の上で煌煌(コウコウ)と輝く月を見て自分の非を悟り、姥岩から身を捨てた。・・・姨捨とは、嫉妬や憎しみなど醜い心を捨てることを説いた戒めとして伝わっているのだ」。

 ところで、中国には、中国こそが世界の中心であるという中華思想があり、周囲の民族を右も左もわきまえない野蛮人と蔑み、東夷、西戎、北狄、南蛮と呼んでいました。日本人は東の夷(エビス)、つまり東の野蛮人です。「姨」は、女性的な野蛮性を意味するといっていいでしょうか。

姨捨とは、そんな野蛮性を山で捨てるということです。キリストが十字架にかかったゴルゴタは、いわば私たちの姨捨山ですね。姨岩では大山姫は自ら身を捨てて死にましたが、ゴルゴタではキリストが私たちの代わりに身を捨てて死んでくださいました。キリストを見て自分の罪を悟り、嫉妬や憎しみなど醜い心を捨ててきましょう。繰り返しゴルゴタを振り返り、そのことを確認しましょう。