優れた探検家

 「海のほか何も見えない時に、陸地はないと思い込むのは、優れた探検家ではない。」

  イギリスの哲学者の言葉です。優れた探検家は「陸地はある」という信念で冒険します。実際に発見できれば優れた探検家となりますが、発見できなければ悲惨な探検家で終わってしまいます。紙一重です。しかし、優れた探検家はあてもない探検をしているようでも、「陸地はある」という確信を心のどこかに秘めています。だから決して無謀な探検はしません。失敗を繰り返しても挫けないし、陸地はないことが証明されても、確信が揺らがなければなお探し続けます。

 不確実性の時代であると言われて久しくなります。一つの法則どおりにはいきません。さまざまな要因が複雑に入り組み、何が起こってどう状況が変化するかわかりません。一生懸命がんばっても先に何も見えてこないこともあります。自分の労苦していることに、本当に意味があるのだろうかと思うこともあります。

 だからこそ、こうしていれば道が切り開かれ、今は辛くても最終的には実が結ぶ、という確信が欲しいのです。学習や仕事や家庭においても、その苦労の先にある希望を見たいし、忍耐していること、誠実で正直であること、こつこつと努力を重ねていることが、必ず報われる日がくるという確信を心の奥底に秘めていたい。そんな「人生の優れた探検家」でありたいのです。しかし、哲学も科学も、もはやそんな確信を与えてはくれません。

  聖書に、「私たちの齢は70年。健やかでも80年。・・・それゆえ私たちに、自分の日を正しく数えることを教えてください。・・・私の手のわざを確かなものにしてください」という祈りがあります。自分の時間を悟り、丹念に一つのわざをなしていきたい。それが永遠に価値あるものであってほしい。それは、はかない存在である人間の真実な祈りであると思います。確信というのは、創造者への祈りからしか生れないのです。

(2005-05-29)