「私が、気持ちが落ち込んでいる人に言いたいことはただ一つである。『遠くを見なさい』・・・人間の目は、書物との間のような短い距離に合うように造られているのではいない。広々とした空間の中で憩うものだ。星や水平線を眺めていれば、目はすっかり安らいでいる。目が安らげば、心は自由になり、足どりもしっかりしてくる。体全体がくつろいで、内臓もしなやかになる。・・・自分のことを考えるな。遠くを見よ。」(アラン『幸福論』)
ジョン・ストットも1976年の米アーバナ大会で「あなたがたの目を上げなさい」と聴衆に呼びかけて、こう語っています。
「ある若者が道で5ドル紙幣を見つけた。それからというもの、歩くときは目を上げることをしなかった。長年かけて彼が拾ったものは29415本のボタン、54172本のピン、12セントであった。彼は背が曲がり、惨めな姿になった。この若者が何を失ったか考えてみよ。彼の目は常に地面に向けられていたので、陽の輝き、星の光、友の微笑、春の花を見ることができなかった。このようなクリスチャンがあまりにも多い。私たちには地上で大切な務めがある。しかし、自分が何者であり、どこへ行こうとしているのかを忘却するほど、地上のことに心を奪われてはならない。」(A.Eマクグラス)
「遠くを見よ」「目を上げよ」。近視眼になり、目の前のものや下ばかり見がちになる私たちには大切なメッセージです。でも、「目を上げても何も見えない」と思い込んではいないでしょうか。その人は上を見ないように、地にはいつくばって生きるほかありません。
しかし聖書は、見上げればそこに希望はあると教えます。「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る」(詩121・1,2)。3000年来、聖書の民は天を見上げて創造者に希望と助けを見出してきたのです。聖書にはあなたが思いつかなかった世界が広がっています。
(2005-4-10)