本教会を開拓して2年もたたぬうちに、新会堂の祈りが始まったかと思うと、いきなり1億を越える物件の話が出て驚いておられる方も多いでしょう。牧師自身もそうです。たしかに慌ててはなりません。主のペースに合わせていきたいと思います。ただ、どんな困難にもたじろがぬ信仰だけはもち続けねばなりません。
キリストは希薄な信仰をよしとされませんが、「小さな信仰」は認めておられます。キリストはあるとき、悪霊を追い出せなかった弟子たちにこう言われました。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。」(マタイ17・20)。からし種は目に見えぬほどの小さい種ですが、それほどの信仰でも、なぜそんな力があるのでしょうか。
その答えは、中国伝道にすべてを捧げたハドソン・テーラーがすでに語っていました。教会員の方が、彼のこんな言葉を紹介してくださいました。「必要なのは大きな信仰ではなくて、大いなる神への信仰である、と主は言われたのです。たとえあなたの信仰がからし種のように小さくても山を動かすのには十分です。大いなる神により頼む信仰が必要なのです。また神が約束された通りを実行してくださると期待することです。」
私たちの信仰は小さくても、信じる神は偉大です。自分の弱さ、小ささを恐れてはならないのです。主は「世の無力な者」「世の無に等しい者」(Iコリ1・27、28)を選び、その無力さを通して、ご自身の力を表されます。テーラーはそれを繰り返し体験し続けた人でした。多くの人々に体験されてきたこの真実を、私たちも体験したいと思います。
新会堂は、私たちが大きく偉くなるために所有するではありません。神の愛と救いの偉大さが現れるためです。すべてはただ「キリストの栄光」のためです。
(2005-2-27)