「現代の有様を見れば、社会全体、生活全体が病気だと言わざるを得ない。もし私が医者で、ではどうすればいいのかと問われたら、躊躇なく答える。『第一の薬は沈黙である。人々を黙らせよ』と。神の言葉はこんな有様では聞きとられるものではない・・・だから、沈黙を創り出せ。」哲学者キルケゴールの弁です。
立ち返って静かにし、主に委ねて黙って待つ(イザ30・15)ことは、いつの時代でも大切です。人は苦しみに遭うと多弁になりがちです。しかし、主に信頼して何も言わず、動かずで過ごすことが最善である場合が少なくありません。自分の理屈を述べ立てるヨブに対してエリフは命じました。「耳を貸せ。ヨブ。私に聞け。黙れ。私が語ろう」(33・31)。そして、ヨブが聞いたとき、主は主の知恵を語り、わざをなさいました。
祈りの時も、ただ単に自分の言葉で埋め尽くすのではなく、心を神の言葉で満たし、黙って主の声を聞くことも必要です。「主よ、私がいつも祈っている事柄はあなたがすべてご存知です。それらはすべてあなたに委ねています。今はただ、あなたと黙って交わらせてください」と祈り、後は聖書の言葉に思いをはせます。雑念が入り込んでも、そのたび、「それはあなたに委ねてあります」と言い、主との黙想に戻します。
口を黙らせることも大切ですが、心を黙らせて神の言葉を聞くことも大事です。人間、口よりも心のほうがおしゃべりです。心の中は人に聞こえないので、欲望、理屈、怒り、思い煩い、不平、悪口、自己弁護、自己憐憫の言葉が、ぶつぶつ繰り返されます。これを止めさせるのはやはり神の言葉の黙想です。
また、この世の喧騒に耳を塞ぐことも必要です。もちろん有用な情報もありますが、余計なことは耳に入れないことです。人の噂や悪口を聞かないことも肝要です。そうしたことを耳に入れて、心の静けさを失うのは結局自分なのですから。
(2005-2-13)