自分を変えたいと思っても、人間そう簡単に変わるものではありません。愛の人になろう、勤勉になろう・・・と決意しても、その決意が人を変えるわけではありません。何かの体験で考えが変わっても、それで突然変わるわけでもありません。
では何が人間を変えるのか。それは習慣だと思います。自分の意志や願いが継続し、それが生活そのものになってはじめて人は成長します。決断も悟りも、それが習慣化されないかぎり、人は成長しないのです。人は、勤勉が習慣になってはじめて勤勉な人と呼ばれます。愛の人は愛が習慣になっています。ただ一度か二度の親切で愛の人になるのではないのです。それは均整の取れた体が一、二度の集中的な体操で達成されるのではないのと同じです。健康も良い習慣がつくるのです。どんな天才も習慣によらなければ何事も成就できません。
ギャンブルやうそが習慣化している人は、それがその人を形成していきます。親切や優しさや感謝することが習慣化している人は、そのような人に形成されていきます。顔も習慣によって変わります。よくいらだつ人と、いつも心の喜びを表現している人の顔が、長い間にどうなってしまうかは想像に難くはありません。
また、私たちのほうで意図的に良い習慣を身につけていかないと、必ず悪い習慣が知らぬ間に身についてしまいます。人間、良い習慣がつくか悪い習慣がつくかのどちらかです。悪い習慣から抜け出したいなら、それをやめる努力よりも、それに代わる良い習慣を身につけることが効果的でしょう。
週に一度の礼拝、毎日聖書を読み祈ること、感謝すること、それは私たちを成長させる良い習慣です。聞いたメッセージの内容、読んだ聖書の言葉、祈ったことは忘れてしまうかもしれません。しかし、良い習慣は、私たち自身は気づかずとも、着実に私たちの人格を成長させています。
(2005-1-23)