ルールがあなたを守る

昔、都市近郊の電車のドアは1枚の「片開き」だった記憶がある。今は、ほとんどの車両が「両開き」である。高度経済成長期の1960年代から換わっていったそうだ。なぜそうする必要があったのか。「片開き」だと、閉まるのに時間がかかるからである。ドアが閉まりかけても乗り込もうとして、ドアにはさまれる人が続出したのだ。また、閉まる寸前の片側のスペースに殺到するため、乗客同士のトラブルが絶えなかった。「両開き」にして、閉まる時間が半分に短縮されたという。

人々のマナーの悪さが、「片開き」を「両開き」に変えたのである。それでも、駆け込み乗車は絶えることはない。いずれ安全な瞬間ソフトシャットの扉に換える必要があるだろう。そんなものができればだが。

 人間のマナーの悪さをカバーするために、いろいろ不必要なものが作り出されてきた。こんど街に出たとき、「これは本来必要なものであったのか」と考えてみてください。たとえば、多すぎる信号、禁止事項を書いた数々の標識や看板や張り紙、駅構内や車内の過剰な放送、街中の音楽や注意喚起の放送、警告音、鎖やバリケード、監視カメラ、そして監視員や路上清掃人・・・

 犯罪の増加が、国家財政を逼迫させるというが、一般市民のマナーの悪さも余計な負担をかけている。ある脳学者が、都会とは人間の脳の中にあるものが、目に見える形で実現したものだ、と述べていたが、人間の心にある罪とその企みが目に見える形で現れている空間ともいえる。

モーセの十戒や、キリストの黄金律「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」(マタイ 7・12)を行動基準にしただけで、世の中は安全で平和で快適で美しくなり、人も健康になり、経済的負担も激減することは間違いない。ルールは、ルールを守る人を守る。主の戒めは、戒めを尊ぶ人を尊ぶ。