桜にあったトゲが消えた?

大伝道者であり、生物学にも通じていた賀川豊彦が、説教の中でこんな話をしている。

 「桜は、ばら科の植物で、もとは刺があったのであるが、人間が可愛がっている間に、だんだんと変わって、今では刺の記録だけは残しているけれども、刺がなくなってしまっている。少し親切をするならば、刺のある植物にさえ刺がなくなってしまうのである。植物さえ親切にすると変貌するのである。」

 確かに桜は、古代より日本人に最も愛されてきた花である。昔は刺があったとは知らなかった(同じばら科の梅の木には刺があるのは、桜ほどには愛されず、妬んだせいなのだろうか)。

 また、賀川は、宇和島の人は非常に人がいいので、そこでできる生糸は質がいいとも言っている。親切にされると、蚕も良い糸を吐くのだ。

 実は、愛や優しさが自然の成長や造形に影響を与えるのは、よく知られている。メロンはよく手入れをし、セレナーデの曲を流すと甘くなり、ロックでは腐るという。氷の結晶も、人間の扱い方次第で、きれいな結晶と壊れた結晶に分かれる。そんな写真を見たことがある。

 人間も、神の愛と慈しみを一身に受けて育つ。誰もが同じように愛され、キリストの十字架の恵みを受けている。罪人ではあっても、キリストに似た者に造り変えられていくはずなのだ。人を見て妬んではならない。神の愛を受けるとき、心を頑なにしてはならない。

「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ」(マタイ6・30)

私たちは花よりも、神の慈しみを受けている。それを、理屈をこねず、素直に受け入れ、喜び感謝することができれば、一つ一つ「刺」が消え、自ずからキリストに似た者になっていくのだ。