「見えている者が犠牲になる」091206

朝日新聞のコラム「この人、その言葉」(磯田道史)に、山梨勝之進(1877〜1967)という海軍軍人が紹介されていた。初めて聞く名である。「ほんとうに社会に貢献した人は自分を輝かそうとはしないから無名に埋もれている」と、書かれていて、なるほどと思った。

 日本が英米と軍艦建造競争していた時代、1922年のワシントン軍縮条約で日米の主力艦保有量の比率を5:3と定め、1930年のロンドン条約では補助艦の保有量の比率を10・7とした。これは、日本の軍拡を制限することが目的ではない。米国の無制限の軍拡に歯止めをかける条約だった。ダントツの国力、経済力を誇るアメリカに、日本が太刀打ちできるわけがない。無制限に競争したら、日本は破綻する。この条約は日本に有利だったのだ。

このロンドン条約の締結に尽力したのが山梨勝之進・海軍次官である。しかし、表面的な利だけを見て、世界の現実が見えていない海軍の「艦隊派」の反感を買い、職を解かれた。若槻禮次郎首相が「あんたは海軍大臣、連合艦隊司令長官にもなるべき人。こんな処遇を受けるとは実に堪えられん」と言うと、山梨は「軍縮のような大問題は誰かが犠牲にならなければ、決まりません。自分がその犠牲になるつもりでやったのですから」と答えた。「表面は、損したようにみえて、裏面で得をしている」。それが後でわかればいい、ということだ。山梨は、戦後は、現行憲法の制定や天皇の人間宣言などに関与したそうだ。

 どの時代にも、見えている者と見えない者がいる。見えないのは、高慢で無知になるためだ。謙虚な人には見えやすい。しかし、問題は、見えてからの行動だ。自分を正面に出して目立とうとすれば、失敗する。見えている者は、犠牲的行動を取るほかないのだ。私たちの場合、黙っていれば、語り、実行しなかった責任を主から問われる。見かけ上の損を蒙らなければならないし、何らかの犠牲を覚悟しなければならない。そうして、思い切った行動を取らなければ、人生には何も起こらない。大事なことをなしえない。人生には、思い切った行動を取るべき「ここぞ」という時が必ず来る。