何を捧げるか091213

韓国にQT(静思の時間)を広めた李サンギュ牧師の証し。

ある年のクリスマスが近づいたころ、私はQTの最中に、思いがけない主の問いかけを受けた。「東方の博士たちは、はるばると砂漠を渡り、危険を冒し、私のところにやって来て、彼らが捧げ得る最高の贈り物を捧げてくれた。あなたは何を私に捧げるか」。

その日まで、自分としては思い切ったクリスマスの捧げ物をするつもりでいた。しかし、聖霊は、私が心の中で願っていた最高のもの、これだけは失いたくないものを示された。

「主よ、それだけは勘弁してください」。深いうめきが心にあった。

当時、私は、博士の称号が自分の生涯の成功失敗を決めると思い込んでいた。どうしても、博士号が欲しかった。それで、いつも留学のことを考えていた。学位は当時の私には絶対的価値であった。それを主に捧げる(留学をあきらめ博士号を得る道を歩まない)ことは、将来のビジョンと権威を喪失してしまうように思われた。普通の牧師に転落したくない。今から思うと、本当に滑稽でばかげた願いである。本人が思うほど、世は博士号獲得者を尊敬しない。

私は、学位への執着を断ち切り、東方の博士たちが赤子のイエスの前にひれ伏したように、礼拝した。そして、そのまま東方の博士たちが捧げた礼拝の世界に入っていった。すると、あれほど執着した学位だったのに、その執着が消えていたのだ。QTが博士号を遥かにしのぐ力を与えてくれたと感じた。自分中心の願いから主の願いへと完全変換したのだ。

私は今、学位のない平凡な牧師である。しかし、学位を捧げた時、主は「共にいる」という約束をしてくださり、学位の抜けた部分に主の臨在が満たされるようになった。以来、主の広さ、高さ、深さを体験する人生を歩んでいる。

さて、あなたは、クリスマスを迎え、主に何を捧げるか。そして、何を期待するか。