曖昧な生き方を止めよう091227

キリストはサルデスの教会にこう言われる。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。目を覚ましなさい」(黙示録3・1c、2a)。

「人間は必ず死ぬ」。これははっきりしている。しかし、「死ぬまでは生きている」。これもはっきりしている。それゆえ、生きているのか死んでいるのか分からないような人生を歩むのは止めよう。年の終わりに、目を覚ましていることを確認しよう。

毎年、年の変わり目を利用して、決断しよう。そのために年末年始はあるのだ。曖昧で漠然とした、輪郭のない生き方をしているなら、きっぱりと終止符を打とう。

生きるなら、何を信じ、何を目的とし、何を最も大切にし、何を希望とするのか、一つ一つ明確にしよう。たとえ信仰は小さくても、信仰と不信仰の境界線を明確に引き、誠実と不誠実、真実と不真実を峻別しよう。善と悪、正と不正も明瞭にしよう。そして、不誠実、不真実、悪、不正には絶対に与しない、関わらない、妥協しないと決心しよう。ビジョンを求めよう。新年に向けて、具体的な願いを持とう。

 キリストはまた、こう言われる。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう」(同15、16)。

 キリストを信じて生きている人間は熱いはずだ。熱い人は、生温い人との間に温度差を作り、人とは異なった生き方をする。強い光は、闇との境界線をはっきりさせ、闇を闇として際立たせる。世と違う生き方をする人は魅力的で、人に影響を与える。温度差が人を動かすのだ。生温くては何も動かず、ぼんやりした光では役に立たない。

 自分の生き方の一つ一つに明確な輪郭をつけていき、引いた線を譲歩せずに生き始めれば、あなたは間違いなく変わる。