警告に耳を

 スマトラ島沖地震で起きた津波で14万人を越える死者・行方不明者を出していますが、スリランカ南東部のヤラ国立公園は大被害を受けたのに、野生動物の死骸が発見されていないという報道がありました。「同国最大の鳥獣保護区である同公園には、ヒョウや数百頭の野生のゾウが生息しており、今回の津波では、沿岸から3キロ内の公園が洪水状態になった。ところが奇妙なことに、ゾウはおろか、野ウサギの死がいもまだ発見されていない」そうで、野生動物保護の担当官は、「動物には天災を感知する能力があり、第六感で異変が起きる時を知るのだろう」と述べています(ロイター)。

 残念ながら人間にはそのような危機察知能力はありません。メディアや当局の警報や避難勧告がなかったことが死者を増やしましたが、それはつまり、人間は警告なしには自分の命を守れないことを物語っているわけです。
では、警告があればみな助かるかというと、そういうわけでもありません。警告されても気付かない人たち、そして気付いても従わない人たちが必ずいるからです。

 被災者の中には、聖書に出てくる「ノアの洪水」を想起したという人もいました。この洪水の時は、全地は水で覆われ、箱舟に乗ったノアの家族8人と一緒に乗った動物以外は、死に絶えてしまいました。実は、洪水の前に警告があったのですが(Iペテ3・20)、箱舟を造って助かる準備をしたのはノアの家族だけだったのです。聖書には「ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです」(マタ24・38〜)と記されています。

 それゆえキリストは終わりの日について警告しておられます。「人の子が来るのも、そのとおりです。・・・だから目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです」(マタ24・43)。

 私たちの人生においても、神様は警告したり希望を示したりされています。しかし、それを感知する人と感知しない人がいます。そして、感知しても、従う人と従わない人に分かれます。感知し従うことができるための基本は、やはり御言葉の学びと祈りです。それが霊的アンテナです。怠って、いざという日に後悔することがないように、謙遜と誠実を尽くし、今年もこのことに励みましょう。

(2005-1-16)