この一年、どれだけ思いを尽くし力を尽くして主を愛したか。どれだけ自分と同じように隣り人を愛したか。どれだけ祈り、聖書を読んだか。どれだけ自分に与えられた分に対して忠実であったか。皆さんは自分をどのように評価されるでしょうか。忍耐を尽くされた方もおられるでしょう。気が滅入ってなお自分を鞭叩いてなすべき事をなしてこられた方もおられるでしょう。悲しみや孤独に耐えた方もおられるでしょう。
私は牧師として多くの人々の晩年や臨終に接してきました。そのほとんどの方々がクリスチャンとして、晩年を「感謝」の言葉で過ごされました。ある老婦人は、生前から「ありがとう」を繰り返してこられましたが、召される最後の言葉も最後の一息を絞るように「ありがとう」でした。別の老人も「本当に感謝です。嬉しいですよ」を口癖のように言っておられました。病気が進み、不自由になり、体は痛み、辛い治療や手術を受けていましたが、これらの方々の口から愚痴を聞いたことは一度もありませんでした。長い人生、誰もが苦しみを味わいます。しかし、その苦しみにも主の計画を認め、救いの恵みと数々の祝福を数えて、「感謝」で地上生涯を閉じられました。まさに「走るべき道を走り終えた」という言葉にふさわしい人生でした。私も、ただ感謝で人生を終えたいと思わされました。
そのためにも、まずこの一年を感謝で終えたいと思います。人生は一年一年の積み重ねだからです。今年の「心の垢」はこの年のうちに落としておきたいと思います。死を前にして積年の愚痴が出ることがないように。晩年、自慢話や愚痴しか出ないのでは寂しいです。
今年、病気や失意や挫折を味わった方もおられるでしょう。まだ進行中の方もおられましょう。それでも、その苦しみに主が介在しておられることを信じて、神への感謝をもってこの年を閉じることをお勧めします。それが聖書の教える祝福の原則だからです。今年はよくやったという方も、自己満足に終わらないようにしましょう。すべてを神様への感謝につなげて、クリスマスそして新しい年を迎えたいと思います。
(2004-12-5)