以前、欧米の学校を視察した沖縄のクリスチャン教育者から、こんなことを聞きました。・・・欧米では「良き○○人になろう」といった標語が掲げてあるのをたびたび目にしたが、考えてみると日本には「良き日本人になろう」という教育標語がない。「良き日本人」とはどんな日本人なのか、わからない・・・。
確かに、良き夫、良き妻、良き親、良き学生、良き職業人ぐらいまでなら何となく想像できますが、「良き日本人」となると、もうわからなくなります。良き日本人のモデル、つまり大方の日本人がそれと認めるモデルがないのです。昔はありました。「二宮金次郎」がその一人です。たいていの小学校の校庭には彼の像が立っていました。背に柴の束を負い、本を読みながら歩く二宮尊徳像です。しかし、いつのまにか撤去されてしまいました。
自分が具体的にどのような人間を目指していけばいいのかわからない民族に、未来はあるのかと思います。目標がなければ努力や忍耐のしようがないのです。多くの日本人が完成図を持たないジグソーパズルのような生き方をしているのではないかと感じます。
さて、クリスチャンとは、キリストに従う者、キリストを真似る者のことです。私たちは日本にあって、世界の人々と共有できる「良き人間」像をもっています。敵のために自分の命を犠牲にする崇高な愛を示された方です。愛においても平安と寛容、柔和と謙遜、勇気と希望、忍耐と誠実においても、私たちの模範です。その方が権威を持って「わたしから学びなさい」と言われました。具体的な目標、完全な人間のモデルを持っていることは何と幸いでしょうか。どこへ向えばいいのかという迷いが生じません。しかも、キリストは聖霊様によって、信じる者をご自分に似た者に造り変えてくださるのです。
ですから、私たちは自分の信じていることに確信を持って励みましょう。ゴールは見えているのです。