広島・長崎の被爆は忘れてはならない歴史ですが、60年を経た今日、原爆教育にもかかわらず若い世代には伝わっていないのだそうです(NHKクローズアップ現代)。
先週、米タイム誌は、原爆投下機の乗組員4人の「これで戦争が終わったと思った」という述懐を、英BBC放送は同じく乗組員の「他に道はなかった。後悔していない」という証言を伝えました。被爆者側からすれば腹立たしい言葉でしょうが、米側からすれば、日本がそうされても仕方のないことを最初にしたのだという主張になります。また、日本も原爆の研究をし、中国人を人体実験にして化学兵器の開発を進めていましたから、成功していたら躊躇なく使用したことでしょう。
私は若いとき、韓国人と議論して「日本人が韓国人にした残虐行為からすれば原爆が投下されて当然だったのだ。あれは神の裁きだ。原爆でわが国は日本から解放された」と激怒されたことがあります。ヒロシマ・ナガサキを語るとき、単にアメリカ批判に終わってはならない、それだけなら、韓国、中国などアジアの傷がうずくだけだと知りました。
原爆が投下された当時、シンガポールの新聞も「原爆投下に神の救いを見た」と伝えたそうです。あるフィリピン女性は「日本はあれだけひどいことをしたのだから原爆を落とされてもしかたがない。日本中の街をやってしまえばよかった。それ以上のひどいことを日本はアジアにしたのだから」と語ったと、本で読んだことがあります。日本は理由なく原爆を投下されたのではありません。しかし、アジアは理由なく日本の侵略を受けたのです。たとえば、日本の韓国植民地支配36年の歴史がどのようなものであったかを知り、その立場を換えて考えてみれば、アジア人の気持ちがわかります。
ドイツ人は加害者という認識で戦争を語るが、日本人は被害者の立場で戦争を語るとよく言われます。
ヒロシマ・ナガサキを後世に伝えることは大切ですが、それ以上にアジアを侵略した加害者であることに対する悔い改めのほうが大切だと思います。国家としてだけでなく、現代を生きる一日本人としても悔い改めるべきです。この悔い改めが浅くて曖昧で、そして「アメリカがしたことは残虐な戦争犯罪だ」と主張するなら、ヒロシマ・ナガサキの願いは世界にも、若い世代にも伝わらないでしょう。世界で唯一の被爆国であることの意義は、真の悔い改めによってのみ深まるのだと思います。