あなたの宝物

 「9歳の時に埋めたタイムカプセルを11年ぶりに開けてみた。とても大切な宝物を入れたという記憶だけはあるのでわくわくしたが、中から出てきたのはどら焼きの形をした石と貝殻だった。」20歳の学生の投書です。子供の頃はそんなものを大切にしていたのかとおかしくなると同時に、大人になった自分の成長ぶりを思ったことでしょう。

私も過去を振り返ると、年ごとに宝物が変わったことに気づかされます。キャラメルの空き箱、ワッペン、切手、卓球のラケット、中学2年の成績表、使い切ったインク壷、18金の万年筆、キルケゴール全集、学歴・・・やっぱり笑っちゃいますね。

「あなたの宝物は何ですか。」好きな人からもらった手紙やプレゼント、ゲームソフト、音楽CD、メダルやトロフィ、地位、お金だった人もいるでしょう。でも、この問いに答えるときは、注意が必要です。宝物が何であるかで、その人の心のレベルがわかってしまうからです。主イエスは「あなたの宝のあるところに、あなたの心もある」(マタイ6・21)と言われました。今、あなたの心はどこに行っていますか。そこにあるのがあなたの宝です。その宝はあなたやあなたの周囲の人たちを本当に幸せにしますか。むしろその宝物のために振り回され、心がすり切れてはいませんか。

主イエスは「自分の宝を地上に蓄えることをやめ、天に蓄えなさい」とも言われました。そこは盗まれることも腐ったり錆びたりすることもないからです。では、天に蓄えることのできる宝って何でしょう。天は、永遠で不変で人間の目には見えません。ですから、天に積める宝もそのようなものです。それは、人の喜びをともにした喜び、人に施した親切と善意、人に示した寛容と忍耐、人に尽くした誠実、人のために使ったお金、人のために動かした体、自制した怒り・・・そして神への愛と祈りと賛美と礼拝でしょう。天に送ることになる主にある兄弟姉妹も宝物です。

クリスチャンになるということは、一時的なもの、人の賞賛、目に見えるものは宝にはならなくなるということです。そこには心をおくことがないので、そのことで得意になったり、落胆したり、怒ったりすることが少なくなります。
あなたの宝物は何ですか。
もう一度、自分の宝物を確認なさってみませんか。

(2004-5-17)