神を知る エペソ1・17

「どうか私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の霊をあなたがたに与えてくださいますように。」(エペソ1・17)?

真の神を知ること、これが私たちの人生を決定します。創造主なる神と出会い、この方の永遠の計画を知らないかぎり、生きる意味や目的はわかりません。人間がなぜ存在しているかは、人間を造った方だけがご存知です。造られた者である人間が、自分はなぜ存在しているのか、自分で一生懸命考えてもわかるはずありません。

 人間は偶然に存在していると信じるなら、生きる意味は全くわからなくなってしまいます。今、家の中を見回して、目的なく置かれている物が一つでもありますか。どんな物でも目的があってそこに置かれているはずです。もし偶然に置かれている物があるとすれば、「なぜこんなものがあるの」と問うでしょう。人間にも同じことが言えます。人間は目的をもって神に造られ、この地球に置かれました。その神に問いかけけて教えてもらわないかぎり、自分の存在目的は見出しえません。

人間には神を知りたいという本能的な欲求があります。それは神にしか満たせない空洞が心にあるからです。しかし、神と人間の間には断絶があるので、人間がどんなに努力しても神を知ることはできません。なのにそれをするから、いろんな神々を作り出してしまうのです。

神のことは神にしかわかりません。そして、神ご自身がご自分を語られないかぎり、神のことは知りえません。そこで神は、自らをはっきりと現すためにキリストと聖霊を遣されました。キリストは言葉と人格と行いをもって、神がどういうお方かを示される方です。キリストを知るということは神自身を知ることです。また聖霊は、そのキリストについて正確に解き明かし、それを体験的に悟らしめてくださる方です。それがこの13節に記されている「知恵と啓示の霊」です。

神を知るためにはキリストを知ること。キリストを知るためには、「知恵と啓示の聖霊」を受けること、これ以外にはありません。この知るとは、単に知的に知ることではなく、聖霊と言葉と行いを通して明確に知ることです。このように神を深く知ることによって、私たちの人生の意味も深まってくるのです。

(2004-3-15)