「またあなたがたの心がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光にとんだものか、また全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神の優れた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」(エペソ1・18、19)
神から来る望み、受け継ぐ栄光、神の力がどれほどのものかを知って欲しい。それがパウロの切なる願いです。「どのように」と3回繰り返していますから、パウロはそれを体験で知っていたのでしょう。それを知れば、パウロのように人生が一変し、世界がまったく違ったものに見え始めます。だからこそ、私たちにもそれを分かち合いたいのです。
そのためには、「心がはっきり見える」ようになる必要がある、とパウロは言います。「心がはっきり見える」とは、知性においても、感性においても、霊性においても、明確に捉えられるということです。 しかし、その心を曇らせるものがあります。それは日頃、私たちの心を何が養っているかを考えれば分かります。
あなたの知性を養っているものは何ですか。聖書が教える神の言葉ですか、それとも、この世のさまざまな情報ですか。あなたの頭を占めている一番重要な知識や情報とは何ですか。最も関心のあることは何ですか。いろいろな知識があることは結構なことです。しかし、知る必要のないことや重要ではない余計な知識で頭が満ちていれば、心は曇ります。
あなたの感性を養っているのは何ですか。聖書が教える本物の愛、失われない希望、真の信仰からくる感動ですか。テレビや現代小説が喧伝する偽の愛や偽の希望に、けっして欺かれてはなりません。
あなたの霊性を養っているものは何ですか。礼拝や祈りや聖書の学びがあなたの霊性を養います。もし心に罪が隠され、疚しさがあるなら、あなたの霊性はかげります。誰につつかれても疚しさがないように、悔い改めが必要です。
日頃、加工食品だけで体を養っていれば肥満になり、コルステロール値は高くなり、生活習慣病になります。心も不健全な食物で養えば腐ります。まず、私たちの心や家庭に汚れたものを入れないことです。もしそのようなものが隠されているなら、今日、取り除いてください。そして、イスラエルのように「神の言葉」で生活の場を満たしてください。