人間の体というのは各部分の優先順位が決まっていて、その順位に従って保護されるようなシステムになっています。もちろん体の隅々にまで防衛体制は整っていますが、その中でも特に命にかかわる部分は手足の末端や皮膚よりも大切に扱われます。
たとえば、私たちが凍えるような寒さの中に置かれたとしましょう。すると体にある無数の温度受容器が寒さに反応し、それが脳に伝達されます。脳はすぐさま手足などの血管に収縮せよという命令を出し、重要な臓器や脳に優先的に血液を送り込むようにします。つまり脳は非常事態には手足をある程度犠牲にしても、命に関わる重要な器官を守ろうとするのです。手足や耳たぶなどが凍傷にかかりやすいのはこのせいなのだそうです。このように、体は末端を切り捨ててでも最も大切な命を維持するようになっています。この優先順位が決まっていなかったら、命はいくつあっても足りないでしょう。
私たちの人生についても同じことが言えます。人生で何を第一にするかは、私たちの命に関わることです。忙しいとき、困難にぶつかったとき、思わぬ事態に陥り混乱したとき、何が最も大切なのかをわきまえていることはとても重要なことです。それが分かっていないと、愚かなことをしてしまいます。苦難を乗り切り、仕事や会社は守り通したが、家族はいなくなった。苦労を重ね財産は残したが、信用や尊敬は失ってしまった。名誉と評判は得たが、友も愛も平安もなくした・・・とはよく聞くことです。
パリサイ人たちは伝統や言い伝えを大事にして、神を見失ってしまいました。律法を守ろうとして、最も大切な愛を失ってしまいました。
キリストは「たとい全世界を手に入れても、まことの命を損じたら、何の得がありましょう」(マタイ16・26)と弟子たちに語られました。クリスチャンとは「たといすべてをなくしても、これだけは絶対失ってはならない大切なもの」を知っている者です。能力、知識、技能、財産、家族、健康・・・それは確かに大切なものですが、いつかはなくなってしまうものです。いつまでも永遠になくならないものこそ、最も大切なものです。私たちは、口先だけでなく、その最も大切なものを現実に最優先していきたいと思います。