?人間存在そのものが尊いか(人の命はなぜ尊いか)

?「人間は存在自体が尊い」というのは人間の勝手な宣言に過ぎない
 そもそもこの地上にあるものは、人間を含め、それ自体で無条件に尊いものは何一つありません。「人間存在そのものが尊いのだ」というのは一つの宣言です。この宣言はそうありたいという決意もしくは願望の表明であって、事実を述べているのではありません。「人間は生まれながらにして自由である」という昔の政治的スローガンと同じようなものです。自分で「自分は尊い」「自由だ」と宣言したからといって、現実に尊くなるわけでも自由になれるわけもありません。宣言しさえすればそうなれるのなら、何度でも宣言すればいいでしょう。
 もし宣言で尊くなれるなら、サンマだって、「サンマという存在自体が尊いのだ」と人間に向かって宣言したいところです。残念ながら、サンマにはそれができません。そこで、私がサンマに代って言いましょう。「われわれサンマは存在自体が尊い」と。この宣言でサンマは尊くなれたでしょうか。
 「いや。サンマは自分で宣言できない。人間に言ってもらうしかない。だから、サンマは人間ほどには尊くはないのだ。人間は自分で宣言できるから尊いのだ」と考える方もおられましょう。でも、もしそうなら、その考え方自体が、人間は存在自体で尊いのではないことを逆に証明しているのではありませんか。というのも、人間は宣言できるという「行い」「能力」によって、他の動物よりも尊いということになるからです。つまり、「人間は存在(being)自体が尊いのであって、能力や行い(doing)によって尊いのではない」という主張は正しくないということです。
 ですから、もう一度サンマの代弁して、人間に問いかけます。「人間よ。『われわれは存在自体が尊いのである』と宣言できる能力があれば、それで人間存在自体が尊いことになるのか」と。もし「そうだ」と答えれば、人間は能力のゆえに尊いのであって、存在自体で尊いのではないと言っていることになります。
 「いや、人間は、そのような能力を持っている進化した高等生物種としての存在自体が尊いのだ」という方もおられるでしょう。でも、もしそうだとするならば人間としての能力や行いを欠いた人々、たとえば赤ちゃんや、重病人、寝たきりの老人は尊くないということになるのではありませんか。
 「人間は存在(being)自体で尊い」というのは、何の根拠もない人間の勝手な宣言にすぎないのです。