水野廣徳の先見

海軍将校でありながら、平和、軍縮、日米非戦論を唱えた水野廣徳(1875?1945)という人物をご存知ですか。年末にNHKで放映される『坂の上の雲』の主人公秋山好古・真之兄弟の親戚に当たる人です。

 水野は第一次大戦後の1920年、ヨーロッパを自費で視察、その悲惨さを目の当たりして帰国し、一転、軍国主義者から平和主義者に転向しました。時の海軍大臣加藤友三郎に、「日本はいかにして戦争に勝つかよりも、いかにして戦争を避くべきかを考えることが緊要」と進言、それ以降、新聞や著書で非戦論の立場を展開し、軍に睨まれるようになりました。1922年には、海軍を退役して軍事評論家の道に進みます。後6か月待てば将校には多額の退職金が支給されたにもかかわらず、それを蹴っての決断でした。

 1923年、日米が戦争すれば日本が敗北するという論文を発表。1930年には、東京が米軍機によって空襲を受ける予言的小説を書き、「逃げ惑ふ百万の残留市民父子夫婦 乱離混交 悲鳴の声」「跡はただ灰の町 焦土の町 死骸の町」と描写しました。

 時代は、満州事変(1932)、日中戦争(37)、太平洋戦争(41)へと突き進む闇の時代にあって、時代を見抜き、将来を予言し、軍を恐れずに警告したことは驚くべきことだと思います。しかも、彼の予告は現実になりました。まさに、旧約聖書の預言者のような役割を果たしています。彼の警告が無視されたことも、預言者と同じです。

 聖書の預言者は神の霊感によって時代を洞察し、神の言葉を受けて預言し、為政者や国民に向けて警告を発し、迫害されました。時代の渦の中で人々は当たり前の帰結が見えなくなってしまいます。しかし、聖書と聖霊はその見えないものを見えるようにしてくれます。私たちクリスチャンはアブラハムの信仰、モーセの希望と指導力、ダビデの主への愛だけではなく、この預言者の洞察力と勇気も引き継いでいます。日本の教会にも、将来に向け警告と希望を語る預言者が出てくることを待ち望みます。