自分に惚れる

あなたは「自分に惚れ」ていますか。決して「自惚(うぬぼ)れる」ことではありません。それは、「自己愛的に自己満足的に生きることではない。いくら自分が無能で、のろまで何も出来ないと思っても、決して絶望したり、自虐的になったり、やけになったりせず、こんな自分も、愛(いとお)しく思い、これくらいなら出来そうだとか、とるに足らない小さなことでも出来るだけの努力をしてやってみよう、これが好きだからやり続けてみようという気になることである」「結局愛し、惚れたものに対しては、人間は、誠実になり、しかも忍耐が出来るのである」「ほれ込んだら努力せずにはいられない」「愛は忍耐強い」(Iコリント13・4)と、クリスチャンであった故高見澤潤子が『人間の老い方死に方』で書いています。

神様が私を「自分」という人間に造ってくださった、そして独り子イエスを犠牲にしてまで「自分」を愛してくださった、その「自分」に惚れるということでしょう。

高見澤潤子は評論家小林秀雄の妹、そして漫画家田川泡水の妻でした。『サザエさん』作者の長谷川町子が、田河水泡の弟子入りをしたとき、町子の母親が「どうか町子をよろしくお願いいたします。何も望みはございませんが、たった一つ、日曜日には、どこの教会でもよろしいのですが、お近くの教会の礼拝に、出席させてくださいませんでしょうか」とお願いしたそうです。それをきっかけに、潤子も町子と一緒に教会に通うようになって、キリスト信仰に入りました。自分のことを死ぬほどに愛おしく思ってくださるキリストとの出会いが、「自分に惚れる」きっかけになったのでしょう。

「自分に惚れる」ことができるのは、キリストの恵みなしにはありえません。「たった一つ」のことを大切にしましょう。