ひらめき力

1987年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進さんが、「記憶力がよく、多くの知識を持ち、それを綿密に構成していく能力のある人が、大発見、大発明をするわけではない」というようなことを、何かの本で語っていたと記憶しています。ノーベル賞級の貢献をする人は、いわゆる頭がいいという以上に、発想力、直感力に優れているということなのでしょう。理屈を積み上げていく論理力だけでは、新しい分野は切り開けないのです。

たとえば、1953年、多くの優れた科学者がDNA(遺伝子情報を伝達する物質)の構造を研究していた中で、新参者の若者のワトソンとクリックが二重らせん構造を見事に解明したのは、典型的な例です。彼らは、「ネイチャ」誌に発表したわずか900語の論文で、1962年ノーベル賞を受賞しました。

キャリー・マリスなどは、女たらしのサーファーで、4度結婚していますが、デート中にひらめいたPCR 法の開発で、1993年化学賞を受賞しました。「科学界随一の一発屋」なのだそうです(福岡伸一『生物と無生物の間』講談社)。

2000年に化学賞を受賞した白川英樹さんの場合は、研究生のとんでもない失敗から、いわゆる「電流の流れるプラスチック」の発見につながりました。失敗がひらめきのきっかけになったのです(失敗すればいいわけではありません)。

論理を超えていく「ひらめき」がなければ、新しい世界を切り開くことはできないのです。この世界では俺のほうが頭がいい、私の考えのほうが理屈が通っていると威張っても(いや、威張っているから)、新しい世界は開けていかないのです。

信仰生活もそうだろうと思います。聖書に通じ、聖句を心に蓄えることはとても大切です。しかし、さらに新しい恵みの世界に入るためには、祈りによって聖霊の諭しを受けることが不可欠です。「人の中には確かに霊がある。全能者の息が人に悟りを与える」(ヨブ
32・8)。聖霊に心を開き、今まで知らなかった霊的ひらめきを体験しましょう。