20世紀の天文学における最も偉大な発見は、「万物は原子でできている」ということ。それは宇宙から届く光でわかるそうです。万物とはこの宇宙のことです。
広大な宇宙の起源とその仕組みを探る研究は、私たち一般人には気が遠くなるような話です。現代の科学では、宇宙の年齢は137億年とされていますが、誕生して38万年後の宇宙の様子は、光も電波も届かないのでわからないのだそうです。
しかし、科学者というのはそれでもあきらめません。すべての物質は原子でできているのですから、その原子の世界、いや原子よりはるかに小さい素粒子の世界をとことん追究していけば、宇宙の始まりの仕組みがわかるというのです。「物質の根源を調べることで宇宙の始まりに迫る」わけです。原子や素粒子ならすぐ手元にいくらであります。そうやって「ビッグバン説」が生み出されたのですね(村山斉『宇宙は何でできているか』参照)。
10の35乗分の1mという素粒子の世界で、10の27乗mという宇宙を究めるというのは途方もないことです。「小で大を知る」。いや、「極小で極大を知る」というべきでしょうか。
最先端の研究をする人々は、その研究対象に張りついて、常に目を凝らし、いつも考えています。あらゆることを試し、何度も失敗し、失敗することで正しくない方法を一つ一つ消去し、核心に近づいていきます。大変な苦労だとは思いますが、大発見をしたときの喜びは筆舌に尽くせないことでしょう。それゆえ、苦心の研究の日々を楽しんでいたように振り返ることができるのだろうと思います。
私たちの信仰生活とは、神の永遠の計画という大事と、人間の日常の小事を常に結びつけていく営みです。神の大事を知って、私たちの小事の意味を知ります。小事に忠実であることで、神の大事に参加していくことができます。「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実」だからです(ルカ16・10)。大きなことに携わるときは小さいことにも目を向け、小さなことに集中するときは大きなことを見上げていましょう。