祈りましょう⑥

知らぬ間に心の中の声が録音されていたら、いやでしょうね。怖くて、恥ずかしくて、とても聞けないことでしょう。

では、自分の祈りを録音して聞いてみるというのはいかがですか。録音を意識しなければ、けっこう心の中を表現していると思います。

私は、自分の思いではなく、聖霊に導かれ、自分の意識を越えて祈りのことばがつむぎ出されているのであれば、もう一度聞いて見たいと思います。確かに自分のことばで祈ってはいるのですが、聖霊によって祈らされているという感動が湧き上がってくるような祈りです。そういう祈りなら、書き留めたいぐらいです。

では、聖霊に導かれて祈るにはどうすればいいのでしょうか。それは、幼い子が父親に語りかけるように祈ることから始まります。

まず、祈りのことばと内容をあまり複雑にしないことです。必要以上にいろんな表現を考え出して、ことばを巧みに操れば、主のおこころに留まるというのではありません。説明的な祈りは最低限に抑え、むしろ、表現も内容も思い切って単純にしてみてはいかがでしょか。「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです」(マタイ6・8)。直接的で短い表現でいいのです。

あえて長く祈ろうと考えないことです。祈った時間の長さで、「ああ、今日は祈ったなあ」と満足感を覚えたいのなら、的外れの祈りになります。

また、自分独自のオリジナルの祈りである必要もありません。聖書には、記録された祈りがあります。詩篇は賛美であり祈りです。参照して、真似て、自分の状況に合った祈りに変えるのも有意義です。ネヘミヤの祈り(1章)は聖霊に導かれた祈りだと思います。主を思い、エルサレムを思う心がほとばしり出ています。ぜひ味わってください。