先月25日、武蔵野市と三鷹市にまたがる井の頭公園の池で、「かいぼり」という浄化作業が行われたというニュースがありました。ボランティアら約150人が集まり、水を抜いて、ヘドロの除去や外来生物の駆除をしたのです。
捕獲された魚は2千匹以上で、そのうち外来魚が何と9割。在来種は巨大な外来種に食べられてしまったようです。邪魔になったペットの魚を、殺すにはしのびず、夜闇にまぎれて池に放したのでしょう。さらに、腰にも達しようかという泥の中からは、自転車が200台、バイクも数台、各種電気製品、財布やカバンなど、さまざまなものが引き上げられました。財布やカバンは、盗まれたものが証拠隠滅のために投げ込まれたと思われます。大きな石を入れて沈むようにしてありました。警察も、行方不明者の遺体が出てくるのではと待機していました(発見されなかったようですが)。
テレビ映像なのに、臭いも漂ってきそうなおぞましい光景でした。井の頭池は、まるで人々の身勝手や恥や犯罪の溜め池のようになっていたのです。
しかし、私たちもそんな「池」を個人的に持っていて、そこに不都合なものはすべて投げ込んできたようなものではありませんか。その「池」を神様が「かいぼり」作業をされる日が来ると考えるなら、ぞっとするでしょう。知られたくない恥ずかしいものが、あれもこれも、次々と悪臭を放ちながら引き上げられてくると分かっているのですから。
でも、神はキリストのとりなしのゆえに、その「池」の「かいぼり」はなさいません。神はこう言われます。「恐れるな。あなたは恥を見ない。恥じるな。あなたははずかしめを受けないから。あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、やもめ時代のそしりを、もう思い出さない」(イザ 54:4)と。その「池」の存在すら、忘れてくださるのです。