故ハ・ヨンジョ牧師③

元首相候補・文昌克氏が、オンヌリ教会の講壇から自国批判をし、悔い改めを訴えたのは、ハ・ヨンジョ牧師の真の愛国心を引き継ぐ謙虚で勇気ある行為でした。文氏に対する「恥知らずで破廉恥だ」と激しい批判こそ、逆に歪んだ愛国心だと、私は思います。

朴槿恵大統領が、「韓国と日本は千年たっても、被害者と加害者という関係は変わらない」と語りましたが、それは、元首が国を代表して「未来永劫、絶対に日本を赦さない」と宣言したようなものです。その心情は理解できます。でも、「日本を赦さないで来たことを謝罪します」とラブ・ソナタ集会で公に発言したハ牧師が生きておられたら、どんなに心を痛められたことでしょう。「千年たっても隣国を赦さないなんて、それは自国を千代にわたって呪うようなものだ。赦して祝福しなければ、自分たちも神に赦されず、祝福されない」と悲しまれたに違いないと思います。

ある方がこんなことを書いておいておられます。「最近、『被害者に、加害者を赦せと言うのは間違いだ。あなたには罪はないと言ってあげるべきなのだ』」という主張を耳にしました。これは常識的には正しいかもしれませんが、聖書の教えではありません。」「加害者は、自分の罪を自分で赦すことはできませんが、被害者は加害者の同意なく、相手を一方的に赦す権利を持っています。」「新約聖書の教えは、被害者がその強力な権利を行使するように求めています」(石井田直二氏、シオンへの架け橋NL43号)。主に赦されたように赦しなさい、ということです。

フィリピン・キリノ大統領はその権利を行使しました(9月21、28日のこの欄)。ハ牧師もそうです。フィリピンや韓国は、こういう人物を生み出したことを誇りにすべきだと思います。彼らはキリストの十字架のことばの実践者です。その謙虚さと勇気と赦しには圧倒されます。私には彼らのようにする自信はありません。だからこそ圧倒されるのです。赦された国のクリスチャンとして、その赦しの心を引き継ぎたいと思います。