「肉体のとげ」が宝になる

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA
「このこと(肉体のとげ)については、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました」(IIコリント12:8)。
 今から50年前まで、東京湾の真中に「ゴミの島」がありました。東京のゴミを運ぶ4500台のゴミ収集車で、島に近い江東区の道路は一日中渋滞していました。1965年(東京オリンピックの翌年)、生ゴミをそのまま捨てるので島にはハエが大量発生し、その大群が江東区の海沿いの地域に押し寄せ、家の天井はハエで真っ黒になりました。殺虫剤を撒きましたが、ハエは薬剤耐性を獲得し、殺虫剤の散布を二千倍にしても死滅せず、結局、重油で島を燃やしました。すると今度は、何日も続く煙で悩まされ続けました。鎮火した後も、自然発火でくすぶり続けました。
ついに江東区住民は怒りを爆発させ、「ゴミ戦争」が勃発しました。「自分の区のゴミは自区内で処理せよ」。各区ともその要求に応じましたが、杉並区だけは住民の反対運動を理由に自前のゴミ処理工場を作ることを拒否し、ゴミを運び続けました。怒った江東区はピケを張って、杉並区のゴミ収集車だけを阻止しました。杉並区はゴミがそのまま溜まりつづけ、遂に音を上げました。江東区はゴミ戦争に勝利しました。
さて今日、そのゴミの島は「夢の島」と呼ばれています。広大な「夢の島公園」が作られ、都民の憩い場になりました。また、ゴミ処理テクノロジーが進歩し、東京のゴミ処理場ではゴミ焼却熱利用の発電で年間56億円、鉄の回収で5.5億円、アルミで1.2億円、希少金属で2.6億円を生み出すドル箱に変わりました。隣は臨海副都心お台場ですが、ゴミで造成された土地はその3倍の広さがあります。地代は12兆円になるそうです(立花隆『四次元時計は狂わない』文春新書)。
昔の「ゴミの島」は、江東区にとって抜き去りたい「肉体のとげ」でした。しかし、今はまさに「夢の島」です。大田区と、この「宝」の帰属をめぐって争っているとのことです。