9.愛は不正を喜ばず、真理を喜ぶ
「最も優れているのは愛です」。しかし、愛があるなら何をしてもいいというわけではありません。
ストーカー行為を繰り返して、「彼女への僕の愛は純粋です」と言い張った男がいましたが、倫理を越えたらただの不潔不純です。昔、「妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい」(エペソ5:22)という言葉を引いて、「夫が銀行強盗をしても、妻は従うべき」と語った牧師がいました。「夫婦は一心同体」の強調表現かもしれませんが、「主(真理)に従うように」には反しています。夫婦の愛も倫理を越えれば犯罪です。また、わが子を溺愛して、子の不正を不正としないなら、やがてその子は「怪物」になります。不義不正を許してはならないのです。罪を犯した者を「赦す(forgive)」ことと「許す(overlook 見逃す)」こととは違います。愛は不正を嫌います。
「真理に立つ愛」は逞しく、強靭です。不正を「許さず」、悔い改めに導く愛です。悔い改めれば「赦し」ます。一方、罪や不正を「許す」愛は脆くて弱いのです。悔い改めに導けず、結局は人の心を腐らせます。真理に立つ強靭な愛を培いましょう。
主イエスは、「真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)と言われました。愛が真理に立つなら、その愛は人を自由にし、徳を建て上げます。しかし、真理から外れれば、たちまち愛は人を縛ります。愛する側も愛される側も、傷つき傷つけ、苦しめ苦しめられます。また、愛のない真理は人をさばくだけです。絶対に罪を「許し」ませんが、悔い改めた人も「赦そう」とはしません。
真理のない愛は、骨のない傘のようなものです。逆に、愛のない真理は骨だけの傘のようです。いずれせよ、役に立ちません。
というわけで、愛は真理を喜びます。真理は愛が大好きです。相思相愛です。