神の国の文化「愛」(12) 「愛はけっして絶えることがない」

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人間の愛は相手次第で変わります。愛する理由を相手に見つけようとするからです。相手が愛しやすい人ならば愛し、愛しにくい人ならば愛せません。人間は、愛する理由を自分のうちにもっていないのです。しかし、キリストは相手がだれであれ、愛されます。相手次第で変わることはありません。相手の心が変わっても変わりません。愛する相手が、主を愛そうが裏切ろうが関係ありません。なぜか。主は愛する理由を自分のうちに持っておられるからです。主は愛です。
キリストはペテロを愛され、ペテロはキリストを三度否認しました。しかし、キリストの愛はペテロに裏切られたのではありません。キリストの愛はペテロを取り戻しました。ユダの場合もそうです。主はユダを愛されました。ユダに裏切られても、主の愛は変わりません。「愛したのにユダに欺かれた」と恨みを発してはおられません。ただ悲しまれました。主の愛は、裏切りや拒絶を超えて、「けっして絶えることがありません」。
キリストは、あなたに愛すべき理由があるから愛されるのではなく、キリストの本質が愛だから愛されます。あなたが罪に屈してしまうことがあっても、心がどんな惨めな状態にあっても、主の愛は変わることなくあなたの前にあります。あなたの罪の身代わりとなって十字架にかかるほどに愛された主の愛を疑ってはなりません。ただ、その愛に身を委ねればいいのです。
真の愛とは「けっして絶えることがない」愛です。人間は自分の愛を過信してはなりません。そんな愛があるのは主だけだからです。主は最終的には、愛のゆえにいのちを捨てられました。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハ 15:13)。また、人の愛のなさを責めるより、また自分の愛の足りなさを嘆くより、まず、そんな大きな愛で主に愛されていることを深く知りましょう。
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