義と愛を立てる

stockvault-baseball-glove1054871998年夏、甲子園球場のグラウンドは38度、スタンドは超満員。延長十五回裏、豊田大谷高校の攻撃は無死満塁。守る宇部商の2年生エース藤田の投球数は200球を超え、ふらふら状態でした。そして、セットポジションに入ろうとして、手をストーンと降ろしました。その瞬間、主審が「ボーク」を宣告、サヨナラゲームとなりました。マウンドで呆然と立ちつくす藤田投手の顔、上級生に肩を抱かれて泣きじゃくる顔が印象深く残っています。
その判定を下した林主審が当時のことを語りました。「不安になりました。(誤審なら)審判人生、終わりだな」と思ったそうです。同僚や関係者から「間違いなくボークだ」と確認が入りました。それでも報道陣から「なんであの場面でボークを取るんだ」「注意で終わらせられないのか」と怒声が飛んできました。その場を収めたのはベテラン審判員でした。「審判はルールの番人です。以上!」。
しかし、林主審は冷徹だったわけではありません。甲子園の暗黙のルールとして、ウイニングボールは勝利校の主将に贈られますが、藤田投手が手にしていたボークのボールを林主審は受け取らず、「持っておきなさい。来年、また甲子園に来なさい」と励ましました。
審判は試合を2時間で終わらせるため、絶えず選手を急がせます。しかし、つるべ打ちにあった投手には「頑張れ」と密かに声をかけ、代打に出て足が震えている選手には、汚れてもいない本塁ベースを掃きながら、「深呼吸しなさい」とこっそりささやき、時間を取ってやったそうです。選手に少しでもいいプレーをさせてやりたい。「そういう時のために、通常は無駄な時間を省いて“貯金”をしておくんです」。
「さばきをするとき、人をかたよって見てはならない。身分の低い人にも高い人にもみな、同じように聞かなければならない。人を恐れてはならない。さばきは神のものである」(申命記1:17)。情に動かされず、人の顔を見ず、主を仰ぎ見て、正は正、不正は不正と、はっきり言べきです。同時に、密かに慈しみも表わすチャンスを探すのも、神の心です。