人間は、自分の利益のためには全力でがんばるが、他人(ひと)のためにはそこまではしない・・・というのは実は逆で、人間というのは、むしろ他人に喜んでもらうためなら一所懸命になる生き物です。そのように、神様によって造られているのです。げんに、自分だけを喜ばせるためにがんばり続けるのは、そんなにわくわくすることではないでしょう? 途中で苦しくなっても、他人のためなら忍耐は続きます。でも、自分のためだけだったら「もうこのあたりでもいいだろう」と降りやすくなります。もし、自分のためならどこまでもがんばれるという人がいたら、その人はもはや「世捨て人」です。他人に喜ばれずとも、他人の役に立たずとも、自分さえ喜べればそれで満足だという人は、独りで生きているのです。
十代半ばのとき、私は仏教的な「世捨て人」に憧れました。吉田兼好や鴨長明のように煩わしい人間関係を断ち、人里離れた所に庵を結んで生きる人です。それが高尚な生き方のように思えました。しかし、それは自己満足な生き方にすぎません。彼の残した古典的名著『徒然草』『方丈記』は、人に読んでもらいたくて書いたわけであり、人恋しさがにじみ出ています。自分のためだけに生きるのは、人間の心の本能に反しているのです。そんな生き方は間違いなく、認知症を早めます。
主を喜ばせ、人に喜ばれるためにわくわくして働くことが、最良の人生を建て上げます。心と脳を活性化し、生産性を高め、多くの良きものを残していく生き方です。人は、もともとそのように創造されているのです。ですから、「自分を喜ばせるべきではありません。・・・キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです」(ロマ 15:1、3)。「私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです」(Ⅱコリ 5:9)。