神の国は格差がない社会

昨年4月の「NHKクローズアップ現代」で、米ジョージア州のサンディ・スプリングスという富裕層だけの町が取り上げられました。人口10万人、市民の平均所得は1200万円、資産は1億円を超えます。以前はフルトン郡に属していましたが、「自分たちが郡に払っている税金が、貧困層の医療や教育や行政サービスに使われるのは不公平だ」と主張して住民投票を行い、富裕層地域だけで郡から独立し、市になったのです。こうして自分たちが払う税金は自分たちのためだけに使えるようになり、医療や教育や安全や行政サービスは格段に充実しました。しかし、税収入の多い地区を失ったフルトン郡は貧困自治体になってしまいました。公立病院の予算が削減され、医療にかかれない市民、教育を十分に受けられない子供たちが増え、治安は悪化していきます。
「自分が努力して得た知識と成功と富を自分のためだけに使って何が悪い。なぜ才能もない貧乏人のために、自分たちの払った税金を使わなければならないのか」。自由な競争社会を勝ち抜いた人たちだけで作る自治体が、全米で33に広がっているそうです。もともとアメリカ社会は貧富の差が大きいのですが、その差はさらに広がっているのです。
日本でも政府の介入を縮小し市民の自由な競争に委ねれば、社会は公正になるという新自由主義を唱える人たちが増えてきました(竹中平蔵、小泉潤一郎)。その結果、弱者と強者、負け組みと勝ち組みに分かれ、貧富の差が拡大しています。
しかし、これは聖書が目指す「神の国」とは対立する考え方です。モーセの「祭司の王国」(神の国のひな型)では、貧富の差が拡大しないように、部族を超えた土地売買の禁止、安息年、ヨベルの年、落穂拾いの権利、レビラート婚などの決まりがありました。神の国の祝福を世界に広げていく社会は、貧富の差を小さく保つ社会、分かち合い助け合う社会です。決して、「自分の努力で得た富を自分のために使って何が悪い」という高慢で自己中心な社会ではありません。