ちゃんと「鈴虫」を飼いましょう

以前、某国立大学農学部出身者の学生時代の話しです。彼は古い学生寮に住んでいましたが、ある夏、長期帰省するという寮友から、孵化したばかりの鈴虫を託されました。餌を毎日やるだけなので、大した手間はかかりません。快く引き受けました。カゴの中には小さく黒い鈴虫がたくさんいました。
預かって数日後のこと、ふたを開けて餌を入れ、再び閉めると、畳の上に1匹飛び出しているのを見つけました。それを追いかけて捕え、カゴに戻してやりました。ところが、その日から心なしか、鈴虫の数が減っているように感じました。いや、それは心なしではなく、確実に少なくなっており、10日もすると半減していました。鈴虫が逃げ出す隙間はありません。死骸もありません。頭をひねりながら過ごすうちに、数はどんどん減って数えるばかりになりました。そして、寮友が郷里から帰ってくる頃には、遂に一匹もいなくなってしまったのです。まったくわけがわかりません。
いずれにせよ、これでは寮友に面目が立ちません。1匹でもどこかに隠れていないかと、カゴの中をひっくり返してみました。いました。黒々と大きく立派に育った虫が1匹。しかし、それは鈴虫ではなく、ゴキブリでした。畳に逃げ出したと思われた虫は、実は鈴虫ではなく、小さなゴキブリだったのです。ゴキブリは雑食で、賢く、貪欲な昆虫です。あわれ、かわいい鈴虫たちは全部食べられてしまいました。秋になれば聞けるはずの美しい音色が、ふてぶてしいゴキブリの「走音ソウオン」になってしまったのです。農学部なのに、鈴虫とゴキブリの見分けもつかないとは。その学生は恥じ入ったそうです。
心に「鈴虫」を飼っているつもりで、「ゴキブリ」が紛れ込んでいませんか。1匹で十分食い荒らされますよ。両者を見分ける霊的判別力をみことばで養いましょう。「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」(ヘブル 4:12)。