ベルギーのナミュールは、「時間があり余っている町」として知られています。その町のシンボルはエスカルゴ(かたつむり)、中心街の広場にはエスカルゴのオブジェが置いてあります。実は、このエスカルゴ、オリに閉じ込められています。なぜか。一旦、エスカルゴが逃げ出すと、ナミュール人には捕まえられないからです。なぜ捕まえられないのか。エスカルゴの逃げ足が速いからではなく、ナミュール人の足が遅すぎるからです。ナミュールのレストランでエスカルゴ料理を食べるときは、銃弾が残っていないか注意しなければなりません。なぜか。エスカルゴは鉄砲で撃たないと逃げられてしまうからです。エスカルゴよりも動きが遅い人々の町、それがナミュールです(なのに住民は蘭、仏、英などの言語が話せます)。
さて、2016年もはや2月です。1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」といいます。春休みがあって、入学式シーズンとなり、瞬く間にゴールデンウィークが来て、すぐに夏休み。秋の始まりとともにシルバーウィークがあり、はやクリスマスの準備で年の暮れ。私たちの国は、なぜこんなに時の流れが早いのでしょう。私が子供の頃は、持て余すほど時間がありました。しかし、今の子供や学生は、社会人なみに時間がありません。これでは、一生がさらに短くなる(感じられる)ことでしょう。
モーセは祈ります。「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです」「どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください」(詩篇90:10、14)。「喜び歌い、楽しむ」時間がいっぱいある生活をしてみたいと思いませんか。それは無理だとあきらめず、また忙しさを誇るより、ゆったりとした生活を目指しませんか。ナミュール人はそういう生活を自ら創り上げました。きっと何かを放棄すればいいのだと思います。聖書から考えてみましょう。