メロディで賛美する

「賛美する」とは歌うとは限りませんが、私たちは「賛美」とあれば、歌うと思っています。たとえば、イエスさまと出会った羊飼いたちが、「神をあがめ、賛美しながら帰っていった」(ルカ2:20)と書いてあれば、彼らは歌ったのであって、賛美のことばを互いに語りあったとは思いません。
普通に言えば短くて済むし、同じ時間でたくさんのことが語れるのに、なぜ人は節(メロディ)をつけて歌い、わざわざ時間を長くして表現するのだろう。『詩篇』を主に向かって朗読するだけでいいではないか。賛美の時間が楽しくなかった頃、私はそう思ったものでした。
節をつけて歌うことはどの民族にもある感情表現法です。喜びや悲しみ、神をたたえ、異性を慕う思いなどを詩にし、旋律にします。同じように、『詩篇』も楽器で歌われました。勇士ダビデは作詞、作曲、歌手という側面も持っています。熱い思いのほとばしりは歌にならざるを得ないようです。
ある人の思い出です。子供の頃、寝癖で髪が立っていたとき、5歳上の姉が微笑みながら、「♪〇〇ちゃん、〇〇ちゃん、角を生やしてどこ行くの♪とさかを立てて何するの♪」と、七五調のリズムで歌ってくれたそうです。姉の即興の歌にこめられた愛と優しさが、今でも忘れられないといいます。
主は私たちのささげる賛美を喜ばれます。主を慕う思いをこめて、メロディとリズムで賛美すれば、大いに喜ばれます。主は、「イスラエルの賛美を住まいとしておられる」(詩 22:3)からです。賛美は、主とつながるために、主が与えてくださった交わりの時です。
自分では解決できないことを思い悩んで、沈んでいるより、賛美しましょう。歌うことは免疫力アップなど、健康にもいいそうです。そして、唇だけでなく体全体を楽器にして賛美しましょう。主も喜ばれ、私たちの心も体も喜びます。心も体も、主を賛美するために造られた「楽器」です。