「鶏口(ケイコウ)となるも牛後(ギュウゴ)となるなかれ」ということわざがあります。
牛のような大きな動物の「しっぽ」の部分になるよりは、鶏のような小さな生き物であっても「くちばし」になれ、つまり、大きな組織の最後尾にいて、「しっぽ」のように使われるよりも、小さな組織であってもトップとなって、全体を動かすほうがよい、という意味です。
しかし、ユダヤ人の教えはちょっと違っています。
「狐の頭になるよりは獅子(ライオン)の尻尾(シッポ)になった方が良い」。
これは、タルムード(Mアヴォート1・10)に出てくる警句です(タルムードは、イスラエルの口伝律法と注釈を集めたもので、モーセ五書に次ぐ権威がある)。
水準の低いグループに入ってトップに立ち、得意になっているよりは、より品格と力に優れたグループに入って、謙虚に仕える者になれ、という意味です。野心から高い地位に就くことを目指すな、先頭に立って注目を浴びることで自己満足するな、と諭しているのです。
主イエスは、へりくだって、忠実に仕える人が、神の国では一番偉いと教えておられます。
「誰でも人の先に立ちたいと思うなら、皆のしんがりとなり、皆に仕えるものとなりなさい」(マルコ9:35)。「あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません」(マタイ23:11)。
リーダーとしての素質や賜物のある人は、その地位に置かれたほうがいいだろうと思います。しかし、高慢になる危険性があります。それゆえ、「獅子の尻尾」として「仕える」ことを忘れてはならないのです。
クリスチャンにとって、「獅子」はいわば教会です。「頭」はキリストです。そして「尻尾」として仕える者が偉いのです。これが、神の国でのクリスチャンの評価基準です。私たちは、もっと真剣に神の国での高い評価を求めましょう。